特撮やアニメの音声収録で“AR技術”はどう活かせる?現場のプロに活用術と魅力を聞きました〈対談特集〉
「拡張現実」を意味する「AR」は、リアルな世界に仮想の映像を映し出すことにより、あらたな可能性を生み出す最先端技術。バーチャルな世界のみに入り込む「VR」と異なり、現実世界とリンクした体験ができるのが特徴だ。
常識を覆すような画期的な技術とはいえ、世間からの認知度は低いのが現状である。そのような状況のなか、映像業界においてARグラスを積極的に活用しているのが、「株式会社サウンドラウンド」にてサウンドデザイナー/リレコーディングミキサーとして活躍している桑原秀綱さん。

桑原さんは、仮面ライダー・スーパー戦隊シリーズの音響制作を多く手掛け、現在放送中の『仮面ライダーガヴ』『爆上戦隊ブンブンジャー』でも音響効果技師を務めている。そんな桑原さんの制作拠点である「SoundRoundStudio」へ訪れたのは、日本ARグラス協会の創設者である中澤真人さん。「ARグラス おじちゃん」という愛称で、ARグラスの認知向上に尽力する専門家。
今回は、映像業界にARグラスを導入するときに起こる効果や課題について、お互いの知見を交えながらの対談を実施。映像業界とARグラスが引き起こす新しい未来を語り合った。
「音のプロ」がARグラスをかける2つの理由
中澤真人(以下、中澤):桑原さんがARグラスを積極的に活用していると聞き、今回の場を設けさせていただきました。さっそくですが、桑原さんはどのような経緯でARグラスを導入したのでしょうか?
桑原秀綱(以下、桑原):「利便性」と「秘匿性」の両方を兼ね備えていて、いまの私にぴったりだったことですね。
私は、特撮を初めとした「映像コンテンツのサウンドデザイン」が主な仕事です。変身アイテムの効果音や爆発音など、ヒーローが活躍するときに欠かせない「音」を作り出しています。
実際の作業は、音の編集に合わせ、映像を同時にチェックしながらおこなっています。常にスタジオ環境で作業を行えれば良いのですが、どうしてもほかの場所で作業をしなければならないときに、ARグラスが活用できることに気付きました。
中澤:スタジオ外での利用で、ARグラスを活用していたのですね。ぜひ利便性の部分から教えてください。
桑原:映像チェックにおいて重要な“大きな画面”を映し出せるところが、利便性につながっています。音を作るときには、変身時にベルトから光があふれる様子や、鎧が装着されていく過程など、繊細に映像を見ていかなければなりません。
そのような状況のなか、小さなPC画面に映像と編集画面を両方出すのは、とてもスムーズな作業とは言えませんでした。ARグラスであれば「大きな映像と編集画面」を同時に映しておけるので、作業効率が格段にアップしたと感じています。
中澤:桑原さんがお持ちのARグラスであれば、最大215インチ相当の映像を映し出せます。モニターを持ち歩く必要もないので、まさにどこでも作業ができるといえますね。次に、秘匿性についてもぜひ教えてください。
桑原:放送前の作品を制作している関係上、外部に映像が漏れてしまうことは、絶対に避けなければなりません。その点で、「ARグラスを通してしか映像が映らない」ことは、秘匿性において大きな意味をもたらします。
これまでは、誰にも見られる心配のない個室でしか作業ができませんでした。ARグラスをかけてからは、カフェや飛行機の移動中など、場所を選ばずに仕事ができるようになったので、まさに革新的なものを感じています。
中澤:PC画面に映像を映さずに作業できることは、ARグラスならではの特徴ですね。映像業界とARグラスがこれほどまでに親和性が高いとは、私自身も新しい発見です。
桑原:ARグラスは、ここ1.2年前から購入し取り入れ始めました。作品でいえば『王様戦隊キングオージャー』、『仮面ライダーガッチャード』、現在放送中の『爆上戦隊ブンブンジャー』、『仮面ライダーガヴ』でも活用しています。
私はもとから最新機器を試すのが大好きだったので、もちろんVRも試してみました。クオリティは申し分ないものの、当初は準備も大掛かりで、用意するものも多かったため、実装まではたどりついていなかったんです。なので、ARグラスの登場は私にとって「これだ」と思える衝撃的なものでした。
中澤:ARは、まさに“日常生活の質”を上げる目的で作られているので、桑原さんのニーズにうまくマッチしたのではないでしょうか。使い勝手の部分でいえば、VRグラスが300~600グラム程度なのに対し、ARグラスは80~100グラム前後が支流で、長時間使うことにも適しているといえますね。
【NEXT】音声収録におけるARグラスの活用と課題
音声収録におけるARグラスの活用と課題
桑原:個人利用としては十分すぎるほどの利便性を感じているなか、ARグラスを「制作現場においても活用できるのではないか?」と思っています。中澤さんとは、まずはアフレコブースにARグラスを導入した場合の効果や課題について、一緒に整理をしていきたいです。
中澤:桑原さんは、音声収録の現場とARグラスでどのようなことができると想像しているのでしょうか?
桑原:私の考えとしては、ARグラスを活用すれば、あとはマイクとヘッドホンがあるだけで、映像を確認するモニターが無くてもアフレコ(音声収録)ができる時代が来ると思っています。
アフレコでは、声優やナレーターは、固定されたモニターと台本を見ながら演技をしています。ARグラスを使えば、モニターや場合によっては台本までもがグラスの映像に映し出せるので、より自由度の高い声の演技ができるのでは?と思っているんです。
中澤:まさに認識のとおりで、ARグラスであれば実現が可能な領域だと考えます。モニターが固定されていないと、どのような点でプラスの効果が得られるのかについても教えてください。
桑原:アフレコにおいて一番大切なのは、声優さんやナレーターさんなどが演技をしやすいことなんです。身振り手振りをしながら気持ちを込めて演技する方が多いので、固定されたモニターを見なくても良いのであれば、より伸び伸びとアフレコができるようになると感じています。
そのほか、現実に映像を映し出す性質上、紙の台本を使いたい方にもマッチしているといえますね。さらに、足が不自由な方がモニターの場所を気にせずに演技ができることも、ARグラスが実現できるであろう理想の未来の一つです。
中澤:制作現場で実際に働いている方にしか想像できないような、まったく新しいARグラスの使い方だと思います。導入にまで至らない理由には、どのようなことが考えられるのでしょうか?
桑原:もっと簡単に導入ができるようにならなくては、制作現場へ普及されないと思っています。たとえば、ケーブル一本を接続すれば、その場にいる20人全員に共通の画面が映し出されるぐらいでないと、プロの現場に取り入れられないのではないでしょうか。そして、個々が台本やモニターの場所・サイズを自由に設定できることが大切ですね。
中澤:いまお話いただいたところは、今後実現できる可能性が十分にあると思います。すでに装着者の動きに連動して映像が動く「3DoF」や、映像を固定できる技術の「6DoF」が実装されています。
桑原:モニターや台本の位置を演者が自由に移動・固定できるようになれば、まさに私が想像する未来に近づけますね。毎日稼働する制作現場を止めるわけにはいかないので、最小限の機材と工事で導入できると、どこのスタジオでも採用される可能性がありそうです。ワイヤレスヘッドホンと一緒に、ARグラスが並ぶ未来が見えてきたかもしれません。
ミックススタジオからモニターが消滅する?
桑原:次に、アフレコブースの隣でリアルタイムに音のチェックをおこなう「ミックススタジオ」でのAR活用について考えていただきたいと思います。
見ていただければわかるとおり、スタジオはモニターだらけ。実は、モニターは音を反射してしまうので、音響特性に悪影響を及ぼぼしてしまうのです。その反射を含めた音響調整をスタジオでは行っておりますが、モニターがないに越したことはありません。
中澤:なるほど。モニターがARグラスに置き換わるだけで、音響のクオリティアップにつながることは想像つきませんでした。とはいえ、ARグラスをかけての作業を想像すると、まだ実装には至れない課題もありそうですね。
桑原:おっしゃる通りです。まずは、コミュニケーションの問題がありますね。アフレコをおこなうたび、アフレコルームにいる人間だけでなく、スタジオ内の監督やミキサーなどと対話をおこないます。そのたびに、グラスを外して会話をするのは現実的ではありません。
中澤:現在は、ARグラスの構造上、どうしてもグレーがかった視界になってしまうので、メガネのような細かなコミュニケーションは困難だといえますね。日常生活でARグラスを常時使用することを想定した場合、歩行や運転時に利用できない理由の一つが、これにあたります。
ただし、ARグラスの目的は“日常生活の質を上げる”ことだと立ち返ると、メガネと同程度に視界がクリアになっていくことが今後想像できますし、透明度の高い製品を開発しているメーカーもでてきています。ARグラスを装着したままコミュニケーションが取れる未来がやってくる可能性は、十分にあるといえますね。
桑原:ほかには、やはり有線の問題でしょうか。もし無線が当たり前になれば、スタジオ内を自由に移動しながら使えるので、かなり実用化が見えてくると思います。とはいえ、音響制作の現場においては、少しの音の遅延が命取り。100%信頼できるレベルで遅延を防げるかどうかも、課題としては挙げられますね。
中澤:ARグラスが現在の軽さを保っているのは、バッテリーを積んでいないことが一つの要因として挙げられます。そのため、無線になると、グラスが重くなるだけでなく、厚みが出てしまうなど別の問題が発生すると考えられますね。
現在、バッテリーが内蔵された独立型での使用が可能なARグラスも販売されています。これからバッテリー自体もどんどん小さくなっていけば、軽くて、長時間利用可能な完全ワイヤレス化も夢ではありません。
桑原:アフレコは、丸一日かけておこなうことがよくあります。そのため、重いグラスをかけたまま長時間の作業は厳しいですね。ただ、ここまでの話を聞くと、スタジオでの実装もそう遠くないように感じます。
中澤:2023~24年は、各AR・MRグラスメーカーが軒並み新製品を打ち出して、市場が一気に熱を帯びてきた感覚がありますね。1年のあいだに製品を2.3個発表している企業もめずらしくありませんでした。その都度、グラスの軽量化や、デザイン面の改善、操作性や音質の向上、そしてさきほど話した「3DoF」・「6DoF」などの機能向上がみられます。
つまり、今後2~3年程度で、制作現場の実用化に至らない問題をクリアした製品が出るといっても、決して大げさではありません。
【NEXT】特撮×ARグラスの“異常”に高い親和性
特撮×ARグラスの“異常”に高い親和性
桑原:これから映像業界へARグラスを普及させていくためには、どのような方法が考えられるのでしょうか?
中澤:なによりも、ARグラスを体験させることが大切だと思います。ARグラスのイベントや、実機を展示した店舗でのお客様の声で一番多かったのが「体験して初めて良さがわかった」というものでした。
桑原:たしかに、この技術は体験しないと良さを理解できないかもしれませんね。まずは、会社に1台ARグラスを設置して、映像制作者や俳優さん、声優さんなどにどんどん体験してもらうことから始めてみたいですね。
イベントというキーワードでいくと、特撮とARグラスって、すごく親和性が高いと思っています。爆発する映像や音をARグラスで体感してもらうイベントなどをおこなえば、より大型の視聴環境で特撮の楽しさが伝えられる気がしているんです。
中澤:それはとても良い案だと思います。ARグラスは拡張現実という現実世界に映像やコンテンツを投影するデバイスになりますので、リアリティを高めることも可能です。なおさら親和性の良さを感じられるのではないでしょうか。
桑原:映画って、巨大なスクリーンと多数のスピーカーを用意して、本当に映画館のような環境で音響の制作をしているんですよ。ARグラスを通して、制作現場と視聴環境が同じものを観られるのは、まさにいままでにない面白い体験だといえますね。
ARグラス普及の秘訣は「体験」にあり
桑原:これまでの話を聞いて、映像業界のみなさまには、ARグラスを積極的に活用してほしいとより一層感じるようになりました。さまざまな職種の方が使うことより、私が気付いていない画期的なアイデアが発見されていくのではと思っています。
私が担当しているのは映像の仕上げ部分なので、撮影現場でARグラスを使うことによるまだ見ぬ効果も期待しています。ARグラスを軸に、映像業界でまったく新しいコラボレーションができれば嬉しいですね。
中澤:桑原さんのような、映像業界の最前線で活躍している方がARグラスをご使用いただいていることが、なによりの認知拡大につながると思います。映像業界の方以外でも、アニメや映画でしかなかった未来型デバイスが、簡単に手に入る時代になっていることを知ってもらいたいですね。今後様々な分野でARグラスの活用が高まり、より皆さんの身近な存在になることは間違いないと思います。まずはスマートフォンなどの身近なものとつないで、大迫力で没入感のある映像を体感してみることから始めてほしいと思っています。
(取材・文・写真:川上良樹/編集:吉岡-媒体総括)