人気ノベルゲームから“インドネシア事情”が見えてくる?今考えたい「多様性ゆえ」の悩み


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1月25日に放送されたNHKスペシャル『ゲーム×人類』の中で、インドネシアのToge Productionsが開発したノベルゲーム『コーヒートーク』が取り上げられた。シリーズ累計200万本を売り上げているこの作品は、ある意味で「インドネシアの事情」を素直に反映している。

数百に及ぶ民族を抱えた世界最大の島しょ国家は、言語も宗教も異なる個々がまさに同じ環境下で共存している。さらに公用語はインドネシア語ひとつだが、日常的に使用する母語は各地域・民族毎に分布している。それはまさに、『コーヒートーク』で描かれている通りの光景である。

この作品は、もしかしたら我々の行く「ほんの少し先の未来」を指し示しているのかもしれない。

「多様性の中の統一」

インドネシアの国是は古ジャワ語の「Bhinneka Tunggal Ika」である。これは日本語では「多様性の中の統一」と訳されている。
インドネシアの建国5原則「唯一神への信仰」「公正で文化的な人道主義」「インドネシアの統一」「合議制と代議制における英知に導かれた民主主義」「全インドネシア国民に対する社会的公正」の下、広大な地域に分布する各民族に平等な権利が与えられるというのがこの国の基本原理である。

したがって、インドネシア国民である限り民族を問わず1人1票の選挙権が保証されている。「インドネシアはイスラム教国」というのは大きな誤解で、制度上ではイスラム教徒もキスト教徒も仏教徒も、保証されている権利に差異はない(ただし、インドネシアでは無宗教は認められていない)。

インドネシアの最西端アチェ州ウェー島サバンと、パプアニューギニアとの国境に近い南パプア州メラウケとの距離は、福岡市〜ジャカルタとの距離とほぼ同じくらい。なぜ後者のほうが長く感じるかというと、我々は普段メルカトル図法の世界地図を見ているからだ。メルカトル図法は「この角度を進めば確実に目的地へ到着できる」ことを最優先にしたもので、それ故に赤道から離れている土地は実際よりも大きく描かれてしまう。

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あまりに広大過ぎる島嶼国家の首都は、民族の坩堝である。

筆者はジャカルタで、パプア出身の少尉と華人の下士官(恐らく曹長か)を見かけたことがある。首都の防衛に配置されているということはかなりのエリートのはずだが、同じ部隊の中でそれぞれ出身民族が異なる、ということはインドネシア軍では特段珍しくない。さらに、遠方地域出身の軍人は通りすがりのジャカルタ市民から握手を求められることがある。

遥か彼方の地域からやって来て、日々軍務を果たしてくれる彼らは市民にとっての「英雄」なのだ。

「異民族間結婚」の困難さ

各民族に対して「平等な権利」が保証された国では、しかしながらそれ故の細かい摩擦や衝突もある。
インドネシアでは、異民族・異宗教間結婚は簡単ではない。たとえばイスラム教徒の男性とキリスト教徒の女性が結婚する場合、殆どは女性がイスラム教徒に改宗する。これは男性がキリスト教徒であっても同様だ。

それ以上に困難なのは、異民族間結婚である。大都市の場合は民族の意識もリベラル化が進んでいるが、「ジャカルタで知り合った恋人と結婚したいけれど、民族の違いを理由に実家の両親が大反対している」というような事態はよくある。
そして、『コーヒートーク』にも種族の違いから実家に結婚を反対されているカップルが登場する。サキュバスのルアと、エルフのベイリースだ。

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エルフは他の亜人よりも遥かに長い寿命を持つ。しかし、他種族と結婚するとエルフの特性が失われ、寿命も言わば「人並み」になってしまう。ベイリースはそれを覚悟でルアと結婚する気だが、彼の脳には結婚に向けた計画性というものが希薄である。「エルフを辞めるなら、他の亜人のように健康保険に加入するべき」と他の客に説教される始末だ。

その悩みは「自分だからこそ」のもの

どの種族も平等の権利を持っているが故に、絡み合った細い糸のような悩みや憂いが交差する世界観。『コーヒートーク』のシナリオは全世界を巻き込む大騒動が勃発するわけでも、主人公が非現実的な異世界で英雄になるわけでもない。そこにあるのは都市の一角でささやかに繰り広げられる「誰かの日常」だ。

日本人は、日々起こり得る憂いを「誰にでもよくあること」という理由で我慢し続けてきた。それを誰にも打ち明けず、ひたすら自分の胸にしまって封印することをある種の美徳にしていた。しかし、どんな収納にもキャパシティーの限界がある。日常の些細な問題を「社会人として当然のこと」とひたすら我慢した結果が、今現在の閉塞感を生み出しているのではないか。

社会人たる者、社会人として、社会人だから。だが、人間は本来一つの括りには収まらない動物である。自分が今抱えている悩みは、実は「誰にでもよくあること」ではなく「自分だからこそ」のものではないか? だとすると、それをいつまでも抱えていてよいはずがない。絡まった糸は、アドバイスを得ながらも自分自身で少しずつ解かなければならない。

どんな小さなことでも、悩みは打ち明けたほうが心の健康を保つことができる。そして、悩みを公開したからこそ生まれる人的交流もある。そうしたことを、『コーヒートーク』は教えてくれるのだ。

著者 澤田真一
静岡県在住。経済メディア、IT系メディア、ゲームメディア等で記事を執筆。東南アジア諸国のビジネス、文化に関する情報を頻繁に配信。