ヘイリーゲイツ監督作品「アトロピア」の質疑応答イベントを取材したが・・・・
閉幕後、通用口から表に出てきたゲイツ監督にサインを求めて近づいたファンがいた。しかし、周囲のスタッフに制止され、監督も苦笑いを浮かべながら、そのファンは立ち去ることになった。私(筆者)は、この場面を目撃している。
翻って、カンヌやベネチアといった国際的な映画祭では、サインを求めるファンを頭ごなしに制止するような場面はほとんど見られない。監督の付き人やマネージャーも笑顔で丁寧に対応しているのが常だ。もちろん、対応には限界があるため、ファンサービスは一定時間で打ち切られる。しかし、例えば今年のカンヌでは、筆者自身がクエンティン・タランティーノ監督にサインを求めた際、マネージャーも監督と一緒に笑顔で対応してくれたことが記憶に新しい。

実際、私(筆者)は会場の外、帰路につくヘイリー・ゲイツ監督にたまたま遭遇し、サインとセルフィーをお願いしたところ、会場内とは打って変わり快く応じてくれた。
もちろん、海外のスターであっても、ファンサービスに応じないアクターが存在することも事実だ。例えば、レオナルド・ディカプリオは、移動車両から降りると周囲に目もくれず通用口へ一直線に向かうことが常であり、これは個人の意思が尊重されるべきであり、ファン側がとやかく言う問題ではない。
しかし、問題は東京国際映画祭のスタッフが頑なにアクターへの接触を阻むという運営姿勢にある。前述したように、ヘイリー・ゲイツ監督にサインを求めたファンは、最終回のイベント後ということもあり、わずか一人であった。
仮に接触禁止のルールや指示があったとしても、そこまで厳密にファンサービスを禁じる背景には、一体何があるのだろうか。一方で、ゲイツ監督の関係者やマネージャーは、日本のスタッフとは異なり、制止する雰囲気は全くない。これは、海外の主要な映画祭において、セルフィーやサインに応じることがごく一般的な光景であり、それを制止する理由がないからに他ならない。

運営側の視点と、日本社会の「面倒ごと回避」のスタンス
運営側が懸念しているのは、ファンがアクターや関係者に殺到することで、演者側からクレームが発生することなのかもしれません。
確かに今年のカンヌ国際映画祭では、北野武さん、浅野忠信さん、二階堂ふみさん、芦田愛菜さん、岡田将生さんといった日本の俳優の方々も、一部のファンサービスには応じていらっしゃいました。しかし、総じて日本の俳優陣はサインやセルフィーに応じないスタンスを取ることが多いため、海外の映画関係者やファンからは「日本のアクターは不評である」という声を聞くこともあります。これは、日本の映画産業全体にとって国際的な評価の損失に繋がるのではないか――。
ただ、モンスタークレーマーをはじめとした、昨今のクレームに過敏な日本社会の現場を見れば、面倒ごとを嫌うという日本社会のスタンスが、サインやセルフィーといった「無用な接触」を制限するというルールに結びつくのは、ある意味、構造上仕方のないことなのかもしれません。
とはいえ、映画祭の現場スタッフは、限定的な雇用であるという背景も考慮すれば、雇用主(運営事務局)の意向に沿って動くのは当然のことです。ファンとの接触を頑なに阻む現場スタッフを責めても、問題の根本解決にはなりません。問われるべきは、「誰のための、何のための国際映画祭か」という運営トップのビジョンと、その姿勢ではないでしょうか。

世界レベルの国際映画祭の未来を考える
海外の映画祭のように、より開かれた、グローバルな視点を持つことが本質全てだとは限りません。しかし、本映画祭が経済産業省から10億円規模の公的支援を受けて開催されている背景を鑑みれば、その役割は、国内に留まらず、より大きく広く、経済効果を呼び、日本の文化的な素晴らしさを世界に伝える「ゲートウェイ」としてのスタンスを強めるべきではないでしょうか。
弊誌(弊社)は時に厳しい論調で映画祭の課題を指摘してまいりましたが、それは、より素晴らしい未来の映画祭が実現され、それが日本映画界の発展に寄与することへの切なる願いに他なりません。この熱い議論が、東京国際映画祭を次の高みへと導く一助となれば、これに勝る喜びはありません。

欧州ジャーナリスト連盟(European Federation of Journalists)
会員No.JP465 N J269写真家
日本外国特派員協会メンバー
会員No.TA1321
(社)モナコウィークインターナショナル
取材 国際ジャーナリスト
樽谷大助
[email protected]
取材アシスタントKANAME YAGIHASHI
取材アシスタント HINATA TARUTANI

翻って、カンヌやベネチアといった国際的な映画祭では、サインを求めるファンを頭ごなしに制止するような場面はほとんど見られない。監督の付き人やマネージャーも笑顔で丁寧に対応しているのが常だ。もちろん、対応には限界があるため、ファンサービスは一定時間で打ち切られる。しかし、例えば今年のカンヌでは、筆者自身がクエンティン・タランティーノ監督にサインを求めた際、マネージャーも監督と一緒に笑顔で対応してくれたことが記憶に新しい。
実際、私(筆者)は会場の外、帰路につくヘイリー・ゲイツ監督にたまたま遭遇し、サインとセルフィーをお願いしたところ、会場内とは打って変わり快く応じてくれた。
もちろん、海外のスターであっても、ファンサービスに応じないアクターが存在することも事実だ。例えば、レオナルド・ディカプリオは、移動車両から降りると周囲に目もくれず通用口へ一直線に向かうことが常であり、これは個人の意思が尊重されるべきであり、ファン側がとやかく言う問題ではない。
しかし、問題は東京国際映画祭のスタッフが頑なにアクターへの接触を阻むという運営姿勢にある。前述したように、ヘイリー・ゲイツ監督にサインを求めたファンは、最終回のイベント後ということもあり、わずか一人であった。
仮に接触禁止のルールや指示があったとしても、そこまで厳密にファンサービスを禁じる背景には、一体何があるのだろうか。一方で、ゲイツ監督の関係者やマネージャーは、日本のスタッフとは異なり、制止する雰囲気は全くない。これは、海外の主要な映画祭において、セルフィーやサインに応じることがごく一般的な光景であり、それを制止する理由がないからに他ならない。
運営側の視点と、日本社会の「面倒ごと回避」のスタンス
運営側が懸念しているのは、ファンがアクターや関係者に殺到することで、演者側からクレームが発生することなのかもしれません。
確かに今年のカンヌ国際映画祭では、北野武さん、浅野忠信さん、二階堂ふみさん、芦田愛菜さん、岡田将生さんといった日本の俳優の方々も、一部のファンサービスには応じていらっしゃいました。しかし、総じて日本の俳優陣はサインやセルフィーに応じないスタンスを取ることが多いため、海外の映画関係者やファンからは「日本のアクターは不評である」という声を聞くこともあります。これは、日本の映画産業全体にとって国際的な評価の損失に繋がるのではないか――。
ただ、モンスタークレーマーをはじめとした、昨今のクレームに過敏な日本社会の現場を見れば、面倒ごとを嫌うという日本社会のスタンスが、サインやセルフィーといった「無用な接触」を制限するというルールに結びつくのは、ある意味、構造上仕方のないことなのかもしれません。
とはいえ、映画祭の現場スタッフは、限定的な雇用であるという背景も考慮すれば、雇用主(運営事務局)の意向に沿って動くのは当然のことです。ファンとの接触を頑なに阻む現場スタッフを責めても、問題の根本解決にはなりません。問われるべきは、「誰のための、何のための国際映画祭か」という運営トップのビジョンと、その姿勢ではないでしょうか。
世界レベルの国際映画祭の未来を考える
海外の映画祭のように、より開かれた、グローバルな視点を持つことが本質全てだとは限りません。しかし、本映画祭が経済産業省から10億円規模の公的支援を受けて開催されている背景を鑑みれば、その役割は、国内に留まらず、より大きく広く、経済効果を呼び、日本の文化的な素晴らしさを世界に伝える「ゲートウェイ」としてのスタンスを強めるべきではないでしょうか。
弊誌(弊社)は時に厳しい論調で映画祭の課題を指摘してまいりましたが、それは、より素晴らしい未来の映画祭が実現され、それが日本映画界の発展に寄与することへの切なる願いに他なりません。この熱い議論が、東京国際映画祭を次の高みへと導く一助となれば、これに勝る喜びはありません。
欧州ジャーナリスト連盟(European Federation of Journalists)
会員No.JP465 N J269写真家
日本外国特派員協会メンバー
会員No.TA1321
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取材 国際ジャーナリスト
樽谷大助
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取材アシスタントKANAME YAGIHASHI
取材アシスタント HINATA TARUTANI